終らないプロセス
FICEY3人組と..
12月3日に開催されたArtivist Film Festivalでの私の作品『Lives in Exile』の上映を無事終えました。
そんなに大きなスクリーンではなかったですが、席も満席で、作品の間に入ってきて席のない客が『もし空いている席があったら詰めてくださ〜い』見たいな感じであった。
この作品についていえば、映画内でインタビューしたチベットの友達がきてくれて、観客の生の反応を感じてくれたのが、何よりも嬉しかった。
嬉しいといってはいけない。チベットで日頃行われている暴力行為を告発した作品なので。
ただこれで完結したという作品でもない。
初めはあるアメリカのウェブ会社に企画を渡され、カリフォルニア法案とチベットとの関係のみのニュース映像の用なものになるはずであった。
しかしリサーチをし、ロスの殆どのチベット寺院を周り撮影願いしたりするうちに、心が納得いかず、さらに探究心がでてきた。
そんなとき前に映画製作で出会った友達を通じて紹介されたチベット人。
今まで立ち寄ったすべてのチベット寺院、団体は平和的なチベット人の気質もあり、インタビューを断られていた。
紹介された友達にインタビューし、話しを聞くうちに、カリフォルニアの法案などどうでもよくなった。
(結局ダライラマをカリフォルニア州で歓迎するその法案も通らなかった)
とりあえず現代社会で拷問されたり、殺されかけているチベット人を救いたい。
そして作品は短篇ではあるがドキュメンタリーに進化した。
2008年にデモに参加しただけで逮捕され、死刑すぐ言い渡された二人のチベット人。
死刑執行を2年間猶予され終身刑になった二人。
本当のこの作品の目的はこの4人の命を救う事にあった。
しかし
去年の10月に4人とも死刑にされて亡くなった。
上映後のQ&A(ティーチイン)では、その事を観客に伝えるのと、その反応を目の当たりにするのは、いい気分はしなかった。
ドキュメンタリーは時には観客を満足させることだけでは、十分ではない。
現実を直視する事だけで終るドキュメンタリーは嫌いだ。
映画学校ではドキュメンタリーは対立する両方からの視点を
客観的に描かなければいけないとか教えられるが、
くそくらえだ。
それじゃ、真実をねじ曲げた情報を放送するテレビやニュースとあまり変わらない。
両方からの視点を持つのは大事だが、そこに映画作家としての意見を加える事により映画になる。
ジャンリュックゴダール監督の言う様に映画が武器になるかは分からない。
しかし時には見たものに電撃ショックの様な衝動を与え、行動させるところまでもっていきたい。
アメリカではWake Up Callと言う時もあるが、
そうしなければいけない作品はそうすべきである。
このプロセスは地球上で全人類が毎日心配事もなく平和に暮らせる時が来るまで、終らせてはいけない。
なんか今日は暗い話になってしまいましたが、
上映自体はアメリカ人の友達やFICEYからYuzoくん、Ryuseiくん、Shoくんも駆けつけてくれて、エキサイティングな夜でした。
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